地震

時間を追って記録しておこうと思う。

3月11日
昨日の発熱嘔吐はだいぶ落ち着き午前中はずっと37.8℃だった。したら布団にも漏れるほどの下痢を1回。お昼には平熱台に戻り食欲もだいぶ戻ったがその後また下痢。食べてなかったため少量。おむつを替えてまったりしていたら地震発生。
14:46頃、M9.0。うちは5強。いちがすぐ飛びついてきて最初は「わっ地震だー」と思っていたらどんどん強まってものすごい横揺れになり窓がゆわんゆわん動いて、ミシミシキシキシとすごい音で心の中がわーーーーとなってしまいものすごい動揺した大きな声でいちを抱きしめながら「大丈夫!大丈夫だよ!」と叫んでた。5分も揺れてたらしい。家の中の被害はテレビ台の上の方に置いてたサボテンの砂が散らばった程度で、色々落ちてきたが割れた物はなく無事だった。とにかく動揺しまくってたので揺れがおさまった後テレビをつけていちは和室にいてもらいその間に手も足も震えながら荷物を詰め込む。すぐたけちゃんから家電に電話があった。テレビつけたもののほとんど見ずにお風呂に水を溜め、荷物といちがすっぽり隠れるブランケットを持っていちを抱っこして下に下りた。どうしていいか分からず出てきてしまったが幼稚園バスを待つママさん2人とマンションの前で避難所の確認やら話す。2・3回目の余震も大きく揺れその場にしゃがみこんだ。とにかくパニック!パラパラとマンション前に人が出てきてワンセグ見て東北地方の被害状況を初めて知った。お台場のビルが燃えてるというのも聞いてたけちゃんのビルは大丈夫かと心配になった。(目の前のビルだったらしい)
陽が暮れてきて寒くなってきたのでロビーに入りみんなそこで待機。いちは終始おとなしく抱っこ紐の中にいてくれて眠ったりぼーっとしたりしてた。私は全然落ち着かず少しずつ移動してみたり周りの人と話したり。ケータイの電池を気にしながらワンセグ見てたが、17時に再度つけたら見れなくなってた。マンションの接合部分のほとんど亀裂が入っていたり破片が落ちていたらしい。少しずつ戻る人たちがいて私も部屋に戻ろうかと思ったけど余震が恐くてなかなか戻れず、たけちゃんから「とにかく部屋に戻れ」メールがきて18時頃やっと戻った。ロビーにいる時にお隣さんに会い「心細いだろうからうちにきてね!なんでも聞いてね!何かあったら荷物持っていってあげるからね!」と優しい言葉をかけてもらいお互いに玄関を少し開けておく。ありがたい。
たけちゃんは20時過ぎに歩いて帰る決意をし3時半頃うちに着いた。その間家の中でもスリングしていて寝てるいちを23時まで布団に降ろせなかった。ドキドキが止まらず腹ごしらえと思ってもおにぎりが全然喉を通らない。口が渇きっぱなし。テレビをずっと見ていて津波の恐ろしさに何度も泣き震えた。いちを寝かせた後も余震が数分おきにあるのでスリングを肩にかけたまま座っていたが全然眠れなかった。たけちゃんが帰ってくる少し前にうとうとして少し寝たかな、3時半頃帰宅し丁度いちも起きて1時間弱後にたけちゃんといち就寝。私は和室横のリビングで毛布をかけて横になった。
今度は長野新潟で震度6。しかも2回。茨城沖でも頻繁にあるし東日本がどうなってしまうのかまた大きいのが来るのかと緊張しっぱなしだった。テレビで緊急速報が鳴るとたけちゃんのケータイもエリアメールがキュインキュイン鳴り、その度にドキドキしてたまらない。(スマートフォンは一切ない)いちはまったく起きなかった。


3月12日
朝方も緊急速報が数回でる。たけちゃんは前日2時間睡眠のためいちに何度も起こされながらも10時半過ぎまで寝てた。起きてから簡単に片付けておいたテレビ周りなど掃除。お昼過ぎに非常食の買出しに行ってもらう。不安と焦りでいっぱいな私と間逆のたけちゃんは「そんな大丈夫だよ」と冷静(のんきか?)だった。ライフラインは全て機能している。実家(栃木)は断水と停電していたが母親のマンションは大丈夫だったのでそっちに移ったみたい。長野と八王子に一人暮らししているたけちゃんのおばあちゃんも無事だった。落ち着いてきたところで友達から安否メール。明るいうちにお風呂にも入り夕食も早く済ませ22時頃就寝。すぐエリアメールが鳴りまた余震。その後も2回鳴った。こっちで揺れるってことは東北は相当揺れてるはずだからそれがまた恐い。想像も出来ないほど恐い思いをしたんだからせめて余震の不安がなくなることを願うばかり。何度も何度もものすごい津波の映像が流れ胸が痛くなるが目を背けてはいけないと思った。
いちは熱完全に下がった模様。元々病院に行く日だったけど熱は下がったので様子見。痰が切れればだいぶ違う感じだけど。ずっとニュースばかりだったので午後録画しておいた教育テレビをつけた。いちは楽しそうだしこちらも少し気が休まった。こゆ時子供にすごく助けられる。笑顔が自然と出て笑い合ったりしていると心も落ち着く。


3月13日
午前中はキッチンを掃除したり。こんな時に掃除てって感じだけど先日買っておいた木目のマットを敷いた。冷蔵庫の中身が危うくなってきたので午後通常の買い物に行ってきた。したらスーパー少々混乱してた。品薄もいいとこで野菜・大豆製品・粉もんはすっからかん。ある物の中でうどん(乾麺)・魚・肉・野菜少し・小麦粉・米5kg(最後の1個)を購入。周りがこんなだと私も焦るがたけちゃんが冷静なので気持ちがあっちゃこっちゃ。とりあえず野菜がほとんど買えなかったので隣のスーパーにも行った。こっちには結構あったので見極めて買い込む。牛乳どこもない。
明日約束していたママ友から「28日にしない?」的なメールがきたが、こんな時に次の約束なんて考えられないので落ち着いてからにしようと送った。不安が拭えないのにそんな約束できないしちょっと引いてしまったよ。
いちは食事もだいぶ戻り元気も復活。ただ余震の度にピシっと音がしただけで(私たちが気付く前に)飛びついてくるほど敏感になってしまった。ぐるぐるどっかんのシートで遊んでる時など遊んでる時は笑顔。


3月14日(今日)相変わらず余震続く
朝一で再び昨日とは別のスーパーへ。1階の食品売り場はさらなる大混乱でベビカなんてとても入っていけない。いちはたけちゃんに任せて(外で待ってた)私は買い物に走る。ベビカや抱っこで買い物をしてる人を見て(具合悪そうな子もいた)うまく買い物も出来ないしとても大変そうで見ていて辛くなった。調味料類を買おうと思ったが食品は諦めいちの食料を買いに4階へ。ベビーフードはしっかり揃っていたのでおやつとご飯物を。おむつはLサイズが数個しかなかったが枚数の多いテープタイプを購入。2階で通常の消耗品シャンプー・リンス・洗濯洗剤・マスクを購入。2・4階はレジは並んだもののそこまで多くなく、1階はすし詰め状態だったがもし大きな地震がきたらさらなる大混乱で大変なことになるだろう。トイレペーパーやティッシュはうちに在庫があったので買わなかったが皆まとめて買うのは何故なのだろか。買いに走った私が言うのもなんだけど、思うのは、トラックは入ってきてるのだから大量に買い込まなくても大丈夫なはず。実家の方も同じ現象だったらしいが食品など焦って買いすぎて無駄にしたらそれこそもったいない。
今日から教育テレビ時間限定で復活なので楽しく見た。ご飯もモリモリ食べて、てゆかお昼と夕飯の間隔短すぎ!2時頃食べて始めて食後のバナナもしっかり食べ15時前食べ終わったのに18時にはお腹空いたコール。お風呂に入ってからにしたよ;そしてすぐ寝た。こんなに3人でいるのは久しぶりで本当に嬉しそう。3人でいるけど私は停電に備えて保存食作ったりたけちゃんは仕事してたりで一緒に遊ぶ時間少なかったけど踊ったり笑ってくれるのがなにより嬉しい。被災地でも少しでも早く子供たちに笑顔が戻ることを祈る。
たけちゃんの会社は水曜日まで自宅待機となった。明日から営業行こうかと言っているが、3駅手前で電車が止まっているので自転車で行くかどうするか。都内も時間によって運休しているので乗り合わせるのも難しそう。そいえば次の週末に予定してた義実家とおばあちゃんズとの旅行は「こんな時だからこそ顔合わせましょう」と予定通り行くことになった。う〜ん。。
今日から計画停電。うちはグループ1で朝と夕方からと2回あるはずだったがどちらもなしになった。うちは停電の場合水道も止まるのだが1回3時間半の停電くらいどうとでもなる。暗くなると恐いけどそんなの数時間だけでどうってことない。懐中電灯を常備してなかったのでイケアで大量パックのキャンドルを準備した。火事注意、火事注意、火事注意・・・明日は15:20〜19時。当日以来エアコンもつけず(つけなくても全然平気だよ!)節電を心がけてる。出来ることはやろう!


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ケータイがつながらなくなった時、ツイッターだけが情報源だった。本当に数少ないフォロワーのみなさんがドバっと情報をくれてすごく助かった。nhkや天気のアカウントもフォローして安否や状況や注意を知ることができたし、たけちゃんとのやりとりもツイッターだった。最近ちょこちょこつぶやいてたけど少し前まで登録だけして放置してたのにすごく役立った!嘘の情報もたくさんあってついツイートしてしまったこともあったけど(すぐ消した!イラッ)すごいな。